リスクの考え方~片田敏孝

【土木チャンネル】 築土構木の思想 第三十二回

http://www.nicovideo.jp/watch/sm23012803

から引用


南海トラフ地震想定について明らかにリスクについての誤認がある。次の津波がこれだと思っている。1000年当たりで33.4mという事実がつきつけられた。1000年当たりという分母が消えて33.4mだけが頭に残る。これに備えなければ防災にあらずという理解。この分母を3000年、あるいは5000年にするともっとでかくなる。」


「1000年に1回という。例えば東日本大震災では2万人近くの人が亡くなった。南海トラフならもっといくでしょう。でも、例えば我々は日々クルマに乗ってます。1年間に4000人死んでますよね。これ1000年当たりに直すと400万人死ぬんです。我々、クルマに乗る時はハンドルを握れば事故に遭う可能性があることぐらいわかってるわけですよ。でも、クルマに乗る利便を取る。その時にシートベルトを締めて安全運転を心がけてリスク軽減を主体的にやりながら、利便も享受する。このセットでクルマに乗るということです。」


「僅かな可能性でもそれが起こったらどうすれば良いか聞かれるんですよ。つまり、33.4mの津波が数分で来てしまったらどうすれば良いのかと。答え明確ですよね、どうにもならんわけですよ。でも、それはハッキリ言えないわけですよね。で、僕はどう言ったかというと、そんな厳しいことを僕に言わせるんですかと。直接的には答えたくないので間接的に答えさせてくれと。僕は仕事柄、飛行機によく乗る。先生、リスクの専門家として飛行機が落ちたらどうしたら良いのかと問われたら、僕は迷わず答えます。”死にます”と。」


いくら専門家でも避けようのないリスクというものがある。でも、その可能性が僅かであると思うときに僕は飛行機に乗って僅かな時間で移動できる利便を取るために、避けようのないリスクもセットで受け取って僕は飛行機に乗っている。こう考えるとクルマに乗るというリスク、飛行機乗るというリスク、利便。これをセットで主体的に僕らは選んでます。なのにどうして防災の話になると、それに備えなければ防災にあらず。これまで備えた避難所は全部無効。行政、どうするんだという。こういう社会を作ってしまったということに、大きな問題意識を感じるんですよねえ。」


「防災の場合が受け取れないのはですね、クルマも飛行機も主体的に選んだリスク、主体性がある。防災は行政がやるものという、ここに大きな問題があって、やってもらうもの、行政にやらせるもの、だから無限を求めてしまう。それに対して行政と住民の関係構造から言うとできませんとよう言わんわと。こういうことなんですよ。」

~中略

「例えばグランドキャニオンには柵はないですよね。日本の場合だと、落ちるとすぐに管理者責任とかね、他人に責任を押し付けていって安全は担保してもらうもの、自分で担保するものじゃないんですよね。こんなことをやっていたら日本の防災なんていつまでたっても良くならないですよね。」