日本が道路だらけというデタラメ
上記リンクの長谷川豊氏の文章にこんな一節がある。
皆さんの周りにも無駄な道路、あるでしょ?工事、やってるでしょ?
あれ、要は「自民党の権力者に投票しなさいね」って。「投票すれば仕事を与えるぞ」ってやってる訳だ。そうやって、国民の予算を使って、利益をバラまいて、選挙で有利にし続けた。
こうやって、世界でも例を見ない「一党独裁政権」の国が育ってきたわけだ(その結果、道路だらけで借金だらけになったけど)。
さて、ここで問題。
我が国は本当に道路だらけなのだろうか?
どうやら、公的固定資産形成のGDPに占める割合が他国と比べて高かったのは過去のことで現在では欧米の先進国と変わらないようだ。
では、道路の量はどうだろうか?
出典:公共事業が日本を救う
どうも保有自動車1万台あたりの道路の長さは抜きん出たものではなく、高速道路に至っては5カ国の比較で最下位のようだ。
ちなみにこのようなグラフに対し、道路の量は「可住地面積あたりの密度」で見るべきだという反論があると思われる。しかし、結論から言えば、可住地面積あたりの密度で見る意味は全くない。その理由を、京都大学教授である藤井聡氏は、次のように説明している。
この「可住地面積」という言葉であるが、これは、人々が住むことができない森林や湿地を除いた、人間が住むことが出来る地域の面積を意味する言葉である(~中略)。
そもそも「可住地面積」を用いるのは、例えば、人口や都市公園の数など、「可住地にしかないもの」を評価する場合であることが一般的である。
ところが、道路は山間地帯を走ることもあればトンネルも橋もある。つまり、道路は、可住地のみにつくられる居住地や都市公園とは異なり、可住地と可住地を結ぶ「非可住地」にもつくられるものである。
だから道路のサービスレベルを論ずる時に、可住地面積を用い”ない”のが一般的なのである。それにもかかわらず、「可住地面積あたりの道路の密度」が、道路のサービスレベルの評価に用いられてる点に、違和感を感じざるを得なかったのである。
出典:公共事業が日本を救う
加えて、日本の可住地面積はヨーロッパと比較して格段に少ない。日本はヨーロッパと異なり、山が多く平地も少ない。可住地の割合は、ヨーロッパが7~8割あるのに対して、日本は3割程度に満たない。したがって、可住地面積のみで密度を比較すれば当然、日本の道路のほうが多くなるのだ。
以上から可住地面積あたりで道路の密度を比較することは全くナンセンスであると言える。
さて、最後に日本と先進各国の道路ネットワーク比較を貼って終わろうと思う。
出典:公共事業が日本を救う
特に傑作なのはドイツで、よく「これからはドイツに見習うべきだ!」などと言う人がいるが、ドイツに見習うならさらに公共事業を増やして道路の密度を上げなければならない(笑)。
これでもまだ貴方は「日本は道路が多い」と言えますか?