格差の固定化

グレート・ギャッツビー・カーブ

金持ちの家の子供は、金持ちに。貧乏な家の子供は貧乏に。こうした格差の固定化が問題となっている。

結論から言えば、この格差の固定化は、ある程度の結果の平等(完全な結果の平等ではない)がないと避ける事はできない。

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アラン・クルーガーのグレート・ギャッツビー・カーブによれば、貧富の格差が大きい国ほど、格差が固定化する傾向にある。この要因の1つは教育格差だろう。

 格差の固定化を招く教育格差

文部科学省の委託した全国学力調査によると、親の年収が高い家庭ほど、子供の成績が良い傾向にあることがわかった。*1

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出典:親が高収入・高学歴なほど子供の成績も高学力 ただし低所得でも規則正しい生活習慣で挽回可能 - Everyone says I love you !

ここから、所得格差が教育格差を生み、その教育格差がまた所得格差を生み格差が固定化されていくという1つの過程が見いだせる。

能力主義も結構だが、その肝心の「能力」が所得格差によって生み出されたものだとすれば、それは能力主義の理念とはかけ離れているのではないだろうか。

結果の不平等は、フェアな競争環境が整ってこそ受け入れられるのだ。

したがって、この競争環境をフェアにしていくには、ある程度、所得格差を是正しなくてはならない。

日本の格差は小さい?

日本ではそのような大きな格差はないと思う人がいるかもしれない。しかし、我が国ではすでに年収200万以下の労働者が1100万人に達している。

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また厚労省によると、子どもの貧困率は、平成24年に16.3%となり、過去最悪を更新した。*2

これに加え、貧困世帯での食の貧困が起こっており、子ども一人当たりの食費が一日329円と、子どもの成長に必要な栄養が取れないほどにまで食費が圧迫されている。*3

こんな食事もまともに取れない環境にある子供と、そうでない子供の競争環境がフェアであるわけがない。

これに対して、厳しい環境であっても成功した人はいるという類の反論もあるだろう。それに対し、ケンブリッジ大学の准教授ハジュン・チャンは次のように述べている。

人のやることを育った環境だけのせいにすることはできないし、するべきではない。人は自分のやったことに責任がある。

たしかにそうなのだが、話はそれで終わりではない。人はなにもないところに生まれ落ちるわけではないのだ。生まれ育つ社会的・経済的環境によって、できることが大きく制限されてしまう。やりたいことだって望み通りにできるとは限らない。環境のせいで、試みる前にあきらめなければならないことだってある。(中略)

すべてを社会的・経済的環境のせいにするのは馬鹿げているが、「自分を信じて頑張りさえすれば、どんなことでも達成できる」というハリウッド映画が大好きなストーリーも同様に受け入れられない。機会均等もそれを利用できない状況にない者にとっては、何の意味もない。

出典:ハジュン・チャン著 ~世界経済を破綻させる23の嘘より

 チャンの言うとおり、もちろん育った環境だけのせいにすることはできない。しかし、塾に行ける、食事が取れる、勉強する部屋がある、机があるといったある程度の生活環境は、当然、親の収入が安定していなければ整えられないし、そうでなかったら、それは果たして本当にフェアな競争環境と言えるのか、大いに疑問がある。

こういった所得格差がアンフェアな競争環境を生み、それがまた所得格差を固定化していくという悪循環について、日本の政策担当者達は、真剣に向き合う時が来ているのではないだろうか。