アメリカが戦後、最高税率が高かった理由

パリ白熱教室の第6回でトマ・ピケティ教授はアメリカが戦後、日本やドイツに高い税率を敷いた理由について以下のように述べている。

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様々な国の長い税制の歴史からは,学ぶべきことが沢山ある。ときには,驚くべきこともある。

ドイツを例に取れば,1回だけだが,所得に対して相続税とまったく同じ率の90%という最高税率がかけられたことがある。それは,1946年から1948年までの時期で,アメリカ人たちがドイツの税制を作った。当時ドイツは連合軍の占領下にあって,事実上アメリカに支配されていた。これは日本も同じだ。

ドイツと日本が,1950年代に財政主権を回復してから税率は下げられ50%という当時合理的と思われた税率に改められた。ドイツはさすがに90%というとんでもない税率は,アメリカ流の途方もない理想であり,とても受け入れられないと考えた。

当時は何でもアメリカ風という時代だったが,アメリカはドイツと日本を懲らしめるために,このような税制を布いたのではない。それは,アメリカ自身が自国で採用していた制度だった。

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出典:ピケティ『21世紀の資本』オンラインページ

懲罰的な意味では決してなく,あくまで近代化のための政策の一環だった。

民主的な制度と財政制度を結びつけ,所得と富の極端な集中によって,民主主義が金権政治に陥るのを防ぐためだった。

これは当時の実際の通念であり,私が言い出したことではない。我々の歴史的遺産の1つだ。風変わりで,まったくバカげていると思われるかも知れないが,これは,20世紀の紛れもない事実だ。

理解しておくべき大切なことは,こうした税制をめぐる,政策や制度の大きな変化は第1次世界大戦とその後の世界恐慌がもたらした大きなショックに対する反作用として生まれたものだ。

とくにアメリカ人が世界恐慌から受けたトラウマには凄まじいものがあった。それは無理もないことで,1920年代の所得格差の拡大によって大企業の一部の人々に富が集中し,それが同時に世界恐慌をもたらした。その結果,第2次世界大戦にまで至ってしまったと,アメリカ人は考えたのだ。

人々は,こうした金融システムや経済システムが破局,世界恐慌を引き起こしたことに,大いに狼狽した。

忘れないでほしいのは,世界恐慌という強いショックの反作用として,高い税率を制定したアメリカの精神だ。

富裕層による資本主義の私物化が,行き過ぎた不平等をもたらし,政治経済の不安定を生みだすという認識だ。
つまり,政策自体がショックの一部だった。

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引用終わり

 

極端な格差社会の問題の1つとして、格差が社会的流動性を阻害するということがある。ウィルキンソン&ピケットは著書『平等社会』の中で、所得格差と社会的流動性は反比例することを明らかにした*1

つまり、富裕層の子供は金持ちに、貧困層の子供は、貧乏のままという世襲社会化である。所得格差がフェアな競争環境を阻害し、職業選択の自由が失われたり、能力主義の理念とは全く異なるものになってしまっている。

もう1つが上記でピケティが言っている極端な富の集中が金権政治を生み、民主主義を阻害するということである。これは、アメリカではもう当然のように起こっているし、日本でも政治とカネの問題は昨今、話題に事欠かない。

よく、金持ちに金を持たせておけば、ビジネスために金を使うのでより効率的だというが、歴史を見る限りそんなことにはなっていない。むしろ、ピケティの言うように、富が極端に集中することで、政治は金権化、腐敗していった。金持ちは当然、国全体が得をするのではなく、自分が得をするという選択を取るため、そのようになっていく。

これに関しては、制度で対応すれば良いのではないかとも思うが、それだけだと政治家を使って制度を変更すれば良いだけなので、対応にならない。

こうなると税率の制度をピケティの言うように累進的にするには、世論か企業献金を受けていない共産党か官僚ぐらいしか無理だろう。

しかし、官僚は例えば財務省はあろうことか逆進性のある消費税を上げることに躍起になっている。つまり、庶民の生活を守ろうなどという考えは微塵もない。

共産党を全面的に支持するのは、安全保障の観点から無理。となるとやっぱり世論に訴えていくしかないということか。